酒屋が桶を作らないと中古の桶が流通しないので、味噌業界も桶仕込みはどんどん減っていきました。また、衛生度の向上や品質を一定にするにはステンレス製などが絶好の容器でした。しかし、マルカワみそ様は一年寝かした木桶仕込みをやめませんでした。理由は桶で仕込んだ方が美味しいと確信しているからです。むしろ逆に桶を手放す蔵元さんから積極的に桶を頂きました。2000年代になると桶の職人さんの高齢化、後継者不足によって、大桶を作れる人は激減。
また、桶作りの環境も満足に機能しないようになっていきます。そして2005年、マルカワみそ様は一つの決意をされます。それは『新しく桶を新調する』ということです。桶屋の棟梁に言われたそうです。『40年ほど桶の商売しているけど、味噌屋が桶を注文するのははじめてのことや…』と。この桶は100年間お味噌を仕込み続ける事ができます。
100年後の未来。2105年。それは今生きている人の殆どがこの世にはいないのですが、この桶は100年後もお味噌を醸します。100年後もこの木桶からお味噌が醸せてそのお味噌汁から、輝かしい未来が作りだしていけると確信を持って味噌造りをされておられます。
桶作りから
始める味噌作り
2005年の桶を新調してから10年後…。大桶を作れる職人さんは大阪でただ1人になりました。桶の文化、技術は消えてしまうかもしれません。そんな中、マルカワみそ様は一つの決断をされました。それは、桶屋に修行に行こう!ということです。こんな事をする味噌屋はおそらくどこもいないでしょう。しかし、100年後のことを考えるとこの文化や技術を少しでも継承できて、桶の維持、保全ができたら桶の文化も残っていきます。マルカワみそ様の常務兼工場長が住み込みで桶の修行を行い、昔からの桶の文化を大切にした味噌造りをされています。
お味噌という
発酵文化と木桶文化
お味噌も木桶も1000年以上前から日本人に馴染みがあり、日本人の心を支えてきました。産まれた時はたらい、亡くなった時は棺桶と桶で産まれて桶で最後を迎えておりました。お味噌も朝起きると、トントントンと朝ごはんの支度をする包丁の音が聞こえてきて、みそ汁の温かい香りが漂って1日が始まります。
また、家に帰ってくると、ご飯とみそ汁を食べながら、今日あったことやいろんな出来事を家族みんなで共有しあっていました。そんな毎日、そんな家族生活が一昔前の日本でした。このような風景はそう遠くない時代のよくある風景でした。今より、モノは豊かではなかったかもしれませんが、心の面では温かさと優しさで豊かだったかもしれません。
文明や文化はどんどん栄えていきますし、変わっていくものです。それは自然の出来事でありあます。しかし、モノを大切にしたり、感謝の気持ちであったり、日本の伝統を大切にする文化がないがしろになっているような時代の流れを感じます。そんな時代にあっても、マルカワ味噌様は今も全力で桶仕込みの味噌作りを仕込み続けておられます。味噌造りを天命と感じながら、今日も元気に味噌作りをしておられます。
※マルカワみそ様のホームページより引用